バトンを渡す社長と読む製造業のこれから⑤好きにやれ、とは言ったが?息子が継ぐのが当たり前だった時代

※この連載は、「後継ぎ専務と読む製造業のこれから」と同じ出来事を、川口の金属加工会社の社長で、専務・宮田健太さんの父である正一さんの側から見直すものです。正一さんの言葉の背景にある時代の価値観を、昔と今のデータで読み解きます。登場人物と会社は、公的な統計や調査をもとに組み立てた架空のもので、実在の企業や個人とは関係ありません。引用した数字の出典は、記事の最後にまとめています。
※この連載でいう「ものづくり中小企業」は、中小企業基本法で中小企業とされる製造業の会社(資本金3億円以下または従業員300人以下)を指します。なかでも、従業員が数十人〜100人ほどの会社を主に想定しています。
「好きにやれ」の翌朝

年末のある夜、息子で専務の健太さん(仮名・34歳)が1枚の紙を持ってきました。世界の中の日本の位置、海外の安さの理由、大手の動き、川口の変化。この数か月で調べたことが、びっしりと書かれていました。
「来期から、やり方を変えたい。任せてくれないか」
社長の正一さん(仮名・72歳)は紙にしばらく目を落とし、短く言いました。
「好きにやれ」
その夜、正一さんはその紙を何度も読み返しました。よく調べてある。自分が34歳のころ、こんなことは考えもしなかった。そう思う一方で、胸の奥が落ち着きませんでした。
翌朝、工場に出ると、健太さんが前の晩に決めた段取りの変更を伝えていました。古参の職長が、戸惑った顔でこちらを見ます。40年近く一緒にやってきた男です。気づいたときには、口が動いていました。
「いつもどおりでいい」
職長は黙ってうなずき、ラインはいつもの順番で動き出しました。健太さんの顔は、見られませんでした。
正一さんが職長だったころ、先代の父は最後まで毎朝工場に立ち、大事なことは自分で決めていました。正一さんはその横で何年も見て、仕事を覚えてきたのです。「任せる」とはどういうことなのか、正一さんは教わったことがありません。
正一さんは思います。「任せると言ったのは、本心だ。だが、どう手を放せばいいのかが、分からない。」
あの頃は:社長は生涯現役、継ぐのは息子だった

正一さんが「任せ方」に迷う背景を、データで見てみます。
中小企業庁の2017年版の白書の概要は、中小企業の経営者で最も多い年齢が、「20年間で経営者年齢の山は47歳から66歳へ移動」したと示しています。1995年に47歳だった山が、2015年には66歳になっています。正一さんは1995年に41歳、2015年に61歳でした。
20年で山がほぼ20歳分動いたということは、同じ世代が、社長のまま年を重ねてきたことを示していると考えられます。社長は生涯現役で、継ぐのはずっと先のこと。そういう時代が長く続いていたとも言えます。

継ぐのは誰かも見てみます。同じ概要では、中規模法人の事業承継のうち、子どもなど親族が継いだ「親族内承継」が66.6%でした。親族外の承継は「全体の3分の1を占め、多くの場合社内人材が後継者」とされています。
正一さんにとって、会社は先代から受け継いで、息子に渡すものでした。ただ、その「渡し方」は、先代の横で何年も見て覚えるもので、教わるものではなかったと考えられます。
今は:早めに渡す準備がいる

今はどうでしょうか。「後継ぎ専務と読む製造業のこれから」第5回で見たように、2025年版の中小企業白書では、中小企業の経営者の平均年齢は60.7歳(2024年)で、経営者が交代したあとに就任した経営者の平均年齢は52.7歳です。
社長が年を重ね、後継ぎも若くない年齢で継ぐようになっています。先代の横で何年も見て覚えるやり方は、時間があるうちは成り立ちますが、その時間は限られています。「いつか継ぐ」から、「いつ、どう渡すか」を決める時代になったと考えられます。
健太さんが読んで分かること

健太さんから見れば、「好きにやれ」と言った翌朝に指示を覆されたのは、口だけで任せる気がないように見えたかもしれません。けれど、正一さん自身、先代から「任せられた」経験がありません。先代も最後まで現場にいて、大事なことは自分で決めていたからです。
正一さんの「いつもどおりでいい」は、任せたくない言葉ではなく、手放し方を知らない人の、とっさの言葉だったと考えられます。そう分かると、「任せるって言ったじゃないか」と責めるのではなく、「何を、いつから任せてもらうか、一緒に決めよう」と言えるようになります。
専務シリーズ第5回の「対話と承継の段取りをつくる」は、健太さんだけの準備ではなく、正一さんにとっても、初めて「渡し方」を学ぶ準備だと言えます。
で、どうしたらいいのか

会社を息子に渡したい気持ちと、手放せない気持ちは、両方とも本物です。ただ、「好きにやれ」の一言だけでは、何をどこまで任せたのかが、息子にも社員にも、自分自身にも分かりません。大切なのは、「任せる」を、範囲と順番のある約束にすることです。社長の立場から打てる手として、次の3つが考えられます。
① 任せる範囲を決める

一度にすべてを任せるのは、渡す側にも受け取る側にも重すぎます。何を、いつから任せるのかを、息子と一緒に紙に書いておくことが考えられます。
- 段取り、取引先、採用と給与など、任せるものを書き出す
- それぞれ、いつから任せるかを息子と決める
- 任せた範囲では、自分から口を出さないと決めておく
② 社員の前で任せる

古参の職長が戸惑ったのは、誰の指示を聞けばよいのか分からなかったからだと考えられます。社長自身が社員の前で「これは健太に任せた」と言うことで、後継ぎの立場ができていきます。
- 朝礼など、社員がそろう場で任せたことを伝える
- 古参の社員には、先に一対一で話しておく
- 口を出したくなったら、現場ではなく、あとで息子に直接伝える
③ 次の役割を決める

任せるのが怖いのは、任せたあとの自分の居場所が見えないからでもあります。社長を降りても、正一さんにしかできないことはたくさんあります。自分の次の役割を先に決めておくことが考えられます。
- 第1回で見た「品質」の勘所を、言葉と写真で残す
- 第2回で見た取引先との縁を、同行して息子につなぐ
- 聞かれたら答える相談役として、息子を見守る
株式や税金などの手続きは、税理士などの専門家に早めに相談しておくと安心です。
まずは①から
3つを一度に始めなくてもよいと考えられます。任せる範囲を決める①ができれば、「好きにやれ」と言った翌朝に覆すことも、少しずつ減らせるはずです。
バトンは、渡す側も受け取る側も、初めての経験です。だからこそ、親子で同じ数字を見て、同じ紙を持ちながら、少しずつ渡していくことが考えられます。
ハーマスの考え方とご提案

合同会社ハーマスでは、事業の承継を、社長と後継ぎの気持ちだけでなく、会社の仕組みで支えられる課題として捉えています。この連載で挙げたことは、どれも渡す側と受け取る側の双方に関わることです。ハーマスは、どちらか一方の味方ではなく、社長と後継ぎのあいだに立ち、双方が納得できる渡し方を一緒に探していくことを大切にしています。
このテーマでは、たとえば次のようなご提案をしています。
- 社長と後継ぎの双方の話を聞き、任せる範囲と順番を整理する
- 社員アンケートと面談で、承継への不安を見える形にする
- 月に一度の壁打ちで、渡す側の迷いにも伴走する
絵にかいた餅にせず、時には現場に飛び込んで本質を追求し、できたらいいねではなく実際に変化を起こすこと。それを信条に、現場に入って伴走しています。
全5回にわたり、「後継ぎ専務と読む製造業のこれから」と同じ出来事を、社長の正一さんの側から見直してきました。息子の側から読んだ方は父の側を、父の側から読んだ方は息子の側を、あわせてお読みいただけると嬉しいです。お読みいただき、ありがとうございました。
出典
- 中小企業庁「2017年版 中小企業白書・小規模企業白書 概要(案)」(2017年3月、中小企業政策審議会 資料4。p.11 経営者年齢の山(元データ:帝国データバンク)、p.25 親族内・親族外承継(中規模法人、n=2,357))
- 中小企業庁「2025年版 中小企業白書」第1部第1章第9節(経営者の平均年齢、交代後の経営者の平均年齢。元データ:帝国データバンク「全国『社長年齢』分析調査(2024年)」)
- 中小企業庁「中小企業・小規模企業者の定義」
※第1〜4回で引用した数字の出典は、それぞれの回の記事の最後にまとめています。正一さんの年齢は、2026年に72歳という設定から逆算しています。